「萩の乱」をはじめとする
士族反乱研究の基本文献
前原一誠年譜
田村貞雄校注
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下記はすべてパンフレットより抜粋
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『前原一誠年譜』の刊行に寄せて

中央大学教授 松尾正人
『前原一誠年譜』が公刊される。昭和9年(1934)に刊行された『前原一誠伝』に続く前原関係の画期的な出版である。

既存の『前原一誠伝』は、『松菊木戸公伝』の編纂主任として有名な妻木忠太が執筆した1100頁余の大著である。だが、その際に用いられた2000点余の前原家文書は、現在、烏有に帰して見ることはできない。妻木の著述した『前原一誠伝」の内容には、前原の遺族は不満だったようだ。「叙述がやや木戸より」として「不快感」を持ったというのである。

今度の『前原一誠年譜』に収載された「前原一誠年譜」は、山口県の著名な歴史研究者であった安藤紀一が、前原家の記録と関係者の説話を整理した謄写版印刷物。利用可能な時期の前原家文書を用いた貴重な年譜である。「諌早氏断片」は、明治9年(1876)の萩の乱で前原に敵対した諌早基清からの聞き取り記録で、当時を知る関係者のなまなましい証言として興味深い。「前原氏系譜」は、一誠の孫にあたる前原彦八が所蔵し、『前原一誠伝』が依拠した系譜と推測される。藤村仁之助「前原一誠就縛始末」は、島根県神門郡宇龍浦の庄屋が書き残した記録であり、萩の乱における前原の捕縛の動向を知る史料として欠かせない。その他、本書には内海毅編「山口熊本追討録」をはじめ萩の乱直後の出版物五編が収録されている。前原家文書を復元する謄写版印刷物、あるいはこれまで入手が困難であった記録など、いずれも前原や萩の乱を中心とした維新史研究の貴重な史料といえる。

これらの史料には、田村貞雄氏の校訂と人名略伝、くわしい解説、関係文献目録、安藤紀一著作目録が附されている。田村氏は、幕末の長州、明治の山口県政時代に関する数多くの論著で知られる山口県近代史の代表的な研究者。校注者となった近年の『初代山口県令中野悟一日記」刊行は、山口県はもとより全国の近代史研究の進展に大きな刺激をあたえた。

本書は、妻木の著した『前原一誠伝』を検証し、萩の乱などを考察するために実に便利である。前原については、木戸孝允との関係、参議就任とその後の経緯、萩の乱直前の動向と任官要請問題など、残された研究課題も少なくない。本書は、前原研究を大きく進展させる糸口になるものと期待できよう。
蟹字学と松下村塾生 〜史料と研究の間〜

明治大学教授 渡辺隆喜

前原一誠は萩の乱の首謀者として、長州藩保守派の第一人者として名高い。士族反乱の評価とかかわり、彼の否定的側面が拡大して解釈されているのかも知れない。

ところが、長州藩維新史の最も輝かしい時期、すなわち俗論派と正義派の対立、倒幕政権の成立や戊辰戦争時に、前原がいかなる役割を果たしたのか、保守派に成長する根拠は何なのか等、余り知られていないのに気づく。萩の乱にしても、多くの長州藩士が参加しており、長州藩維新史のいかなる側面を前原が代弁したのか興味のあるところである。「蟹字学」(洋学)に不適な松下村塾生の実態も知りたいところである。これはひとり前原に限らず、日本史全体ともかかわってこよう。

前原一誠に関する最新の成果は、「幕末維新人名辞典」に、明治9年10月、「天皇に訴えて朝廷の好臣を掃うための東上軍を起したが、事破れ」とされ、それまでの経歴が正確に記されている。だが、右記の疑問に答えてはくれない。参考文献として「前原一誠履歴」や妻木忠太「前原一誠伝」、清水門弥編「前原一誠」等が掲げられているが、「前原一誠年譜」は掲載されていない。

本書で、「前原一誠年譜」の解説をされた田村貞雄氏によれば、前原の基本的研究本は妻木前掲本と松本二郎著『萩の乱』の二冊であるという。この二冊の研究の基本史料が「前原一誠年譜」であり、これは安藤紀一が「前原家に有する記録書簡にその族人の説話を参し整理」したものであった。その安藤は、「途中で挫折した人々」および庶民軽視の風潮に反発して編纂しており、その志の大切さ、継承を田村氏は説いている。解説者もかかわる今日の山口県史編纂事業が、長州出身の維新官僚顕彰誌としてではなく、長州全体の歴史の編纂を目的とするならば当然の態度である。

『前原一誠年譜』と題する本書は大きく二つの部分からなる。前原系図や萩の乱報道史料、就縛始末や諌早基清聞き取り等、前原関係史(資)料部分と、安藤紀一および前原関係文献目録、年譜登場人物の略伝たる年譜付属資料、詳細な解説など前原研究の手引書ともいうべき部分とである。つまり、史(資)料と研究手引きを合わせて、今後の研究深化の便を図ったところに本書の特色がある。

最近、敗者の研究も盛んである。萩の乱参加者の研究も大切となろう。残念ながら本書に掲載されなかった司法省などの官庁史料の復刻も待たれるところである。本書の刊行を契機に前原研究はもちろん、長州維新史研究のいっそうの深化が期待される。

目次に代えて〜郷土史家安藤紀一の研究成果

静岡大学名誉教授 田村貞雄
目次に代えて〜郷土史家安藤紀一の研究成果

前原一誠は、長州藩士で吉田松陰の松下村塾の門下生であり、尊王攘夷運動、幕長戦争、戊辰戦争に活躍し、明治維新政府では参議兼兵部大輔の大任にあった。しかし短期間で辞任して故郷の萩に隠棲し、1876年(明治9)10月下旬萩で反乱を起こした。

この時熊本神風連の乱、秋月の乱が引き起こされ、東京でも思案橋事件が起きたが、いずれも短期間に鎮圧された。前原ら幹部は市街戦の戦況不利を見て、天皇への諌奏のため、海路上京を企てたが、島根県宇龍港(現大社町)に入港したところを、全員捕縛された。前原一行は萩に特設された司法省萩臨時裁判所の裁判にかけられ、十二月三日処刑された。

萩の乱については、当時さまざまな新聞報道がなされ、それをまとめた小冊子が発行されたが、伝記が書かれるようになるのには、しばらく時間を必要とした。最初の前原伝は清水門弥の『前原一誠伝』(1897年)である。(後述)

前原一誠を地元の萩で地道に研究していたのが、萩の郷土史家・安藤紀一(1865年〜1935年)である。安藤は、生涯を教育界に尽す。一方、萩の歴史と文人たち及び吉田松陰について、多くの著述を残している。26歳の時書いた『吉田松陰先生略伝』は最初の吉田松陰伝である。

また安藤紀一は前原家に信頼され、同家の二千点以上の文書を調査したが、その研究成果が本書「前原一誠年譜」(1929年)である。ここに復刻する『前原一誠年譜』は、卓越した郷土史家としての安藤の研究と叙述の方法の結晶であり、遺著となった『萩史料』(1936年)とともに、編年体叙述の傑作である。

前原一誠の詳細な伝記は妻木忠太『前原一誠伝』(1934年)であるが、その多くを安藤の研究に負っている。前原家の伝承によると、安藤は前原一誠伝の執筆を老齢であると断り、『吉田松陰全集』の編集一本に絞って力を尽くしたが、全集完成の1935年に70歳で死去した。

今日の前原一誠および萩の乱研究は、ほとんど妻木同書によっている。しかし妻木著の多くが安藤の先行的研究に負うていることは明らかであるが、しかし折角の安藤の研究成果がこぼれ落ちている部分もある。たとえばかつて前原の同志でありながら、萩の乱では政府軍の先導をつとめた諌早(佃)基清についての安藤の貴重な聞き取り記録(「諌早氏談片」)は、参考にされていない。

現在の時点で考えてみれば、妻木著以後松本二郎氏などの研究が生まれたとはいえ、前原一誠の生涯と萩の乱の細部にわたっての基礎的研究は、まだ十分ではない。

そこで改めて、安藤紀一の研究に立ち戻って、研究の基礎を再構築することが必要であると考え、まず手始めにこの「前原一誠年譜』の復刻を手がけた。試みに注を施し、また人名略伝を付した。

附属史料として次の史料を収録した。
まず安藤紀一筆録の前掲「諌早氏談片」を収録した。
あわせて、前原一誠が兵部大輔のとき会津松平家から贈与された「泰西王侯騎馬図」に関する安藤の論考「前原氏洋画附考」の一部を収録した。この絵は現在神戸市立博物館所蔵であるが、同館の御好意により、口絵に掲載した。.前原・奥平と会津との交流については、永岡久茂の指導した思案橋事件の考察にあたって不可欠の研究課題である。

島根県宇龍港で前原一行を捕縛した島根県吏清水清太郎は、もと長州藩家老清水家の当主であり、遠祖は備中高松城で羽柴秀吉の水攻めに遭い切腹した清水宗治である。清太郎は前原一行を庄屋藤村邸で厚遇し、家族への遺書も預かった。その藤村家当主仁之助の「前原一誠就縛始末」を収録した。妻木前掲書及び諸研究は、仁之助の養子久蔵が後年養父母からの伝聞を潤色した『宇龍の悲曲』に依っているが、やはり就縛の十数日後に当事者の仁之助によって書かれた本史料に依るべきであろう。

なお清太郎は後に門弥と改名し、最初の前原伝となる『前原一誠伝』を書いたが、これも収録した。同書は安藤がもっとも参考にした文献で、随所に引用がある。くわしくは清水清太郎が清水門弥であることを探索証明した拙稿「前原一誠一行を捕縛した清水清太郎」を参照されたい。

なお前原家から同家の「系譜」を御提供頂き、これも全文を収録した。前原家の遠祖は尼子十勇士の一人米原綱寛であり、この「系譜」により、同族の湯原氏との関係、佐世氏としての継承などが明らかとなる。

本書には、ほかにも関連史料を収録した。
まず萩の乱直後の出版物である内海毅編『熊本山口追討録』、栗原素行『明九西国暴動録』、安達成章『熊本山口両県下戦争紀聞』、山本憲編『防長肥筑 明九征賊』、高瀬茂顕『山口伝報記』の五点を収録した。これらは萩の乱のみならず、神風連の乱、秋月の乱、思案橋事件の基礎史料である。今後他の士族反乱の裁判記録(口供書)も含め、基礎的研究の進展を期待したい。

最後に安藤紀一の著作目録と、前原一誠・萩の乱関係の研究文献目録を収めた。
以上のようにいささか盛りだくさんの内容であるが、新史料満載の本書である。今後の士族反乱研究の基礎的文献として活用されれば幸甚である

(本書はしがきより)
著者略歴:1937年山口県生まれ。静岡大学名誉教授。著書に『山口県自由民権運動史料集』『初代山口県令 中野梧一』ほか。