防長史の根幹とその果実 慶長から幕末に至る1800名の人物小伝 | |
増補 近世防長人名辞典 | |
吉田 祥朔 | |
マツノ書店 復刻版 *原本は昭和32年 | |
2002年刊行 A5判 上製 函入 370頁 パンフレットPDF(内容見本あり) | |
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復刻にあたって |
■ 本書の初版は昭和32年に刊行されました。その後著者による「補遺」が刊行されており、小社による昭和51(1976)年の本書復刻版には、その「補遺」を組み入れてあります。 ■ 今回はこの昭和51年復刻版の再復刻ですが、装丁を大幅に改善しました。 ■ 巻末付録 萩藩雇細工人帳・鍔工 藩外来寄 勤王家名 録雅号便覧 吉田樟堂(祥朔)文庫目録 著者略年譜等 ■ エピソード 吉田祥朔の令息は有能な外交官でした。惜しくも若くして病死しましたが、その妻は元総理大臣・吉田茂の息女でした。吉田祥朔の甥に岸信介と佐藤栄作がいます。二人とも山口中学に在学のころ、吉田祥朔の家に下宿していました。奇しくも『近世防長人名辞典』が出来た昭和三十二年には、第一次岸信介内閣が誕生しています。 |
『近世防長人名辞典』の完成まで 著者 吉田 祥朔 |
今回山口県教育会より、拙著『近世防長人名辞典』の発刊あるに当たり、いささか本書の成るに至った本書刊行の経緯を述べておきたい。 私は明治・大正のころ山口および郷里萩の中学校に教鞭をとること十数年、この間勤務のかたわら郷土史の調査に従い、近世の藩政時代に最も着目した。その成果は更に言うに足らないが、史実探求の過程において、まずその時代の著名人物とその事略を知る要あるを認め、目に触れるごとにこれを抄録して後の備忘とした。かくてその登録人数は昭和初期東京に移る頃、およそ二千に達した。 これは当時の公族大夫文武要路より一般の識者・農・工・商・釈家・篤行のあらゆる階層にわたって、その資料は古記録史乗の類はもとより、世話・口碑・墓誌等に及び、またそのころ多く世に出た郡・町・村史等からもあまねく取材した。殊に故近藤清石翁の『防長人物誌』は私の良い指針であり、さらに翁の生前、直接私に与えられた知識も多大である。 しかし私はこれただ自分のためにと書きとめたもので、最近十余年間に多少修正補足する機会もあったが、以って世に発表する意向は毛頭ないのであった。 しかるに今、山口県教育会の真塾なる要請とその努力により、版に上げて世に問うことは私の最も欣榮とするところである。それというのもわが防長は慶長の移封よりおよそ二百七十年を経た幕末維新の際に至って人材の輩出はまれにみる盛時であったが、この間この種の資材として所在人物の氏名は伝わっても、それに添う行実の世に残らぬものが往々ある。 私のこの著が杜撰ながら多少でも近世先賢の遺蹟を後代に伝え、延いて他年温故知新の一助ともなるあらば望外の幸せである。 (本書「緒言」より抜粋) |
毛利藩政二百七十年の郷土史読本 山口県教育会長 二木 謙吾 |
本書は慶長六年毛利氏が防長二州に入封以来、明治維新に至る約二百七十年間に、二州の生んだ著名な人物約千八百名の名鑑、小伝を集録したものである。 由来わが防長の地は史実に富んでいるが、特に毛利藩政時代は政治・経済・産業・教育・文化その他各方面に偉大な進歩発展を遂げ、遂に維新回天の大業を翼賛し得るに至った。従ってこの間、人材の輩出は稀に見る盛観であった。これらの人々の思想・事功は後世の教訓指針となるものが少なくない。多年多くの人々からこれらの人々の伝記を集録して、後世に伝えるに足る人名辞典の出来ることを要望されていたのも当然といえる。 従来この種の著書の多くは、権門勢家乃至富豪碩学などに偏しがちであるのに対し、著者は特に留意して庶民階級の人物選択にも力を致しておることは、本書の特色の一つであると言い得る。 著者・吉田祥朔先生は篤学の士である。謹々として倦まず、殆どその全生涯を通じて郷土史の研究に没頭し、最も近世の藩政時代に力を致し、後世に伝えるに足る人物は、これを見出すに従って史料を摘録し、その数約二千名に及ぶ。しかして各種の資料を克明に蒐集して参考とし、更につとめて二州各地を踏破して遺跡を調べ、旧家・名家をたずね、世話・口碑・墓誌等をもさぐって、人物の選択を誤らないように留意し、その伝記を正確に記述することに多大の努力が払われている。このことは本書を大いに価値づけるものであって、永く後世に伝えるに足る良書であると信ずるものである。 著者は明治十年二月、元萩藩士林家に生まれ、初め早稲田専門学校に学び、後東京高等師範学校に入りて地理科・歴史科を専攻し、山口中学校及び萩中学校に教鞭を執ること約十五年、東京毛利家の史料編集にも従事し、郷土史に関する著作も少なくなく、山口県刊行の『防長志要』は著者の作である。また本会編集の『村田清風全集』の編纂委員の一人である。 本会は著者が心血を注いで、かかる貴重なる郷土人物史料を集成されているにも拘らず、筐底深く蔵してこれを世に公にせられないことを遺憾とし、本会は幾度かこれが刊行を企図したが、種々の困難のため今日まで実現を見るに至らなかった。しかるに今回著者の許諾を得、愈々発刊の運びとなったことは、さきに『吉田松陰全集』を刊行し、次いで維新七十年記念事業として『村田清風全集』を編集したことと併せて、本会の最も光栄とし欣快とするところである。 古語に「温故而知新、可以為師ム矢」と、まことに至言である。本書に採録されている約千八百の人々の多数は、皆後世に伝えて師とするに値する人物である。本書はこれを個人について見れば、その人の伝記であるが、これを綜合して読めば、毛利藩政二百七十年の郷土史読本である。これら先覚・先賢の志向と実践を通して、われらの父祖の生活した郷土の歴史と伝統を探究し、古今の推移を考藪することは、ただに修身処世の上に益するばかりでなく、世はいかに移り変っても、国家社会の安定と繁栄の基礎をなす愛郷・愛国の精神の酒養発露にも資するところが少なくないであろう。(後略) (昭和三十二年八月本書「発刊の辞」より) |