児玉陸軍大将
 写真画報臨時増刊
 マツノ書店 復刻版 *原本は明治39年 博文館
   2005年刊行 B5判 並製(ソフトカバー)函入 140頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
    ※ 価格・在庫状況につきましてはHPよりご確認ください。
マツノ書店ホームページへ



■児玉源太郎は旅順攻撃における作戦ばかり有名ですが、台湾総督としてもその教育・文化・産業の発展にめざましい業績を残しています。台湾における日本の評価が今でも高いのはそのためです。
■本誌は明治三十九年の八月、児玉源太郎の急逝後わずか二週間で、明治期を代表する版元・博文館から刊行された「写真画報臨時増刊」です。
■珍しい写真はもとより、大臣から女将まで、当時の彼の周辺にいた人たちの証言も多く、今では入手できない児玉に関する生の資料の宝庫といえましょう。
■本誌は国立国会図書館、都内の公立図書館をはじめ、山口県内の主な図書館のどこにもなく、児玉源太郎出生の地にある小さな古本屋が「日露戦勝百周年」として復刻するものです。

「快男児」の面影
    辰野 裕一
 児玉源太郎の存在と事跡が今日においても広く知られているのは、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』によるところが大きい。本作に描かれた、日露戦争の作戦指導のため自ら望んで内務大臣から参謀本部次長に降格したこと、乃木将軍を助けた二百三高地攻略での鮮やかな指揮ぶり、戦争終結に向けての明断と迅速な行動などの数々の場面は、それまであまり知られていなかっただけに、とりわけ新鮮で強い印象を江湖に与えた。ペリー来航の前年に生まれ、日露戦争終結の翌年に死んだ児玉源太郎の五十五年の生涯は、日本が近代化に向けてかけのぼった、この『坂の上の雲』の時代にぴたりと一致する。
 この間、軍人そして政治家としての才能を縦横に発揮した児玉は、日露戦争に肝脳を捧げ尽くし、その突然の死は、戦死ならざる戦死と惜しまれた。チャーチルの著名な評伝に「人が時を得、時が人を得た」という言葉があるが、日清戦争での川上操六とならび、日露戦争での児玉源太郎はまさにこれにあたるといえよう。
 この児玉源太郎を一言で評すれば、英雄豪傑というよりは、むしろ「快男児」がふさわしい。抜群の切れ味の頭脳と軍事的才能はもとより、名利にとらわれない出処進退と明朗快活で茶目っ気に富む人柄は、児玉の印象をすこぶるさわやかで魅力あるものとしている。この写真画報臨時増刊「児玉陸軍大将」の発行は、児玉の死後わずか二週間。このことからも、児玉源太郎がいかに国民から哀惜される存在であったかが分かる。
 徳山のマツノ書店が、今回、満を持して復刻するこの画報により、われわれは『坂の上の雲』の時代を駆け抜けた一個の快男児の面影を臨場感あふれる時代の雰囲気とともは味わうことができる。日露戦争百年の記念の年にふさわしい意義ある出版として大い確歓迎したい。
(本書パンフレットより)