新発見、山口時代の日記 日本近代史解明の鍵 | |
初代山口県令 中野梧一日記 | |
田村 貞雄・校注 | |
マツノ書店 | |
1995年刊行 A5判 上製函入 604頁 パンフレットPDF(内容見本あり) | |
※ 価格・在庫状況につきましてはHPよりご確認ください。 | |
マツノ書店ホームページへ | |
▼維新の立役者であった山口県の初代県令(知事)に、数年前まで敵として戦った幕府方の要人が乗り込んできた。 ▼吉田松陰の兄、高杉晋作の父などに囲まれて、旧幕臣である初代県令・中野梧一が仕事をしている、この不思議な光景。彼は山口県在任中、明治四年から同七年に至る間、丹念に日記をつけていた。明治初年の地方官の日記は、全国的にもきわめて珍しく、貴重である。 ▼編者の田村氏がこの日記を発見して以来十余年。詳細な注釈や伝記を加えた本書は、明治維新史研究の新史料として大きな意味をもっている。 |
『中野梧一日記』 略目次 |
一 中野梧一日記 解題 二 中野悟一日記 三 関係人物略伝 四 初代山口県令中野梧一の生涯 @さまざまな中野梧一伝 A齊藤家の系図 B幕臣齋藤達吉 C維新動乱のなかで D山口県への赴任 E中野県政の展開 F佐賀の乱への対応 G実業家への飛翔と挫折 五 各種中野梧一伝 津田権平編『明治立志伝」 (第一編 中野梧一君小伝)ほか六点を縮小復刻 六 中野梧一年譜 七 中野梧一関係文献目録 |
中野梧一(齋藤辰吉) 略年譜 |
天保13年(1831) 辰吉、江戸に生まれる 文久3年 将軍家茂上洛に際し、従士として随行 元治1年 出羽国屋代郷の百姓一揆を鎮圧 慶忘4年 烏羽伏見の戦いに参加、前将軍慶喜水戸に謹慎し、辰吉も随行 明治2年 五稜郭の榎本軍降伏、辰古軍使となる 明治3年 静岡鷹匠町に住む従弟、中野誘の附籍となり、中野梧一と改名 明治4年 新政府より山口県初代参事 (県令職代行)と任命され、束京を出発 ※「中野悟一日記」はこの日から書き始められた 明治5年 長門地方の農・漁村を巡視、全国に先駆けて、地租改正事業に着手 明治7年 山口県令に昇進 明治8年 山口県令を辞任 明治9年 大阪で、長州出身の政商藤田伝三郎の商社・藤田組に入社 明治10年 コレラの流行を予見、石灰酸の買い占めで一躍成金になったという 明治12年 藤田組贋札事件起こり、藤田伝三郎とともに逮捕される 明治13年 大阪製銅会社の設立計画に参加 明治16年(1883) 大阪の自宅で自殺、四十一歳。 |
良質な史料と優れた伝記 東京大学史料編纂所所長 宮地 正人 |
このたび、山口県初代県令中野梧一の日記が、マツノ書店から翻刻・出版されることとなった。日記の解読者は、地租改正事業をはじめとして、明治初期の山口県央研究に着実な業績をつみ重ねてきた田村貞雄氏である。田村氏の研究対象への恐るべき執念が、この日記を発見させ、懇切丁寧な注釈を伴った活字化を実現させたのだといえよう。また日記史料を扱う際、最も我々を当惑させる多数の人名に関しては、可能な限りの文献を駆使した人名略伝が、ここには付されている。 明治維新は、今日にいたる日本近代を考える場含、さけて通ることが出来ない、古くて、しかもいつまでも新しくありつづける歴史学の対象である。そして、そこでの大さな問題群の一つが、明治初年の天皇制国家による上からの近代化政策と、在地においてそれを受けとめ、反発し、更に逆規定していく諸勢力・諸集団との、カにみちダイナミズムに富んだ相互関係なのである。 この両者のぶつかりあう場はどこであったのか?それは、太政官政府部内でも、個々の町村でもありえなかった。それは廃藩置県後新たに成立した府県そのものだったのである。 全国の県令や権令・参事の一身にこの矛盾と対立は凝集される。しかも山口県の場合、県令の立場は一地方官にとどまるのではなく、維新変革を遂行した長州藩閥の出身県として、その県治は直ちに全国的な意味をもたざるを得なかった。 (本書パンフレットより) |
中野梧一日記の刊行を喜ぶ 名城大学名誉教授・明治維新史学会顧問 原口 清 |
明治維新は、その激動の渦中のなかで、波乱に満ち、魅力あぷれる生涯を送った多くの人物を生みだしている。山口県初代県令であった中野梧一も、そのなかの一人である。 旧幕臣であった彼は、戊辰の内乱では反政府軍に身を投じ、箱館・五稜郭で最後の抵抗を試み、降伏・赦免の後は一転して旧敵長州藩の後に新設された山口県の初代長官となる。初期明治国家の中堅官僚として新時代の建設に参加した彼は、やがて官を棄て実業界に身を投じ、関西財界に大きな足跡を残す。ほどなく、謎の自殺をとげて41歳の生涯を終っている。まさに、劇的な人生と云えよう。 中野梧一の日記は、過去にもその抄録が世の関心を引き論議の的となったことはあったが、今回、田村貞雄氏の厳正な考証を経てその全貌が明らかにされることになった。田村氏は、明治維新研究の第一線で活躍をつづけており、中野梧一研究の第一人者である。今回の中野日記の解題には、最高の適任者である。 (本書パンフレットより) |