アームストロング砲の佐賀藩が対戦した彼等のあらゆる戦闘記録を広く収集し事件別に比較対照。
これまでとは別の角度から戊辰戦の実態に迫る、必備の文献。
佐賀藩戊辰戦史
 宮田 幸太郎
 マツノ書店 復刻版 ※原本は昭和51年
   2013年刊行 A5判 上製函入 626頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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 『佐賀藩戊辰戦史』  略目次
 佐賀藩の軍制と軍備の近代化
佐賀藩の軍制
佐賀藩軍備の近代化
戊辰戦役中に使用されたおもな火器
佐賀藩の動員兵数

 第一章 佐賀藩主の横浜赴任と上野
彰義隊戦争
藩主上京までの情勢
藩主の上京と佐賀藩兵の装備
佐賀兵、北陸道先鋒を命ぜらる
鹿島藩主の帰国問題
佐賀藩海軍の東征
江戸開城交渉と島義勇
佐賀藩主、横浜に赴任す
暮府軍艦の引渡しと佐賀藩
島義勇の房総鎮定策
佐賀兵、野州へ転進す@
江藤新平の時局建白
彰義隊の結成と佐賀藩士殺害事件
大隈重信と二十五万両
上野彰義隊攻撃戦

 第二章 会津戦争
佐賀藩兵、野州へ転進すA
多久兵の到着
藤原口の戦闘@
藤原口の戦闘A
佐賀兵、白河口ヘ進む
藤原口の戦闘B
白河口の佐賀兵、若松城下に達す
若松城包囲戦
日光口の戦闘
 イ・日光口佐賀兵の進発
 ロ・横川・大内の戦闘
 ハ・日玉峠の戦闘
 ニ・栃沢・関山の戦闘
若松南郊の戦闘
越後口官軍の若松到着
若松城総攻撃
会津藩の降伏
会津戦争の終結

 第三章 羽州戦争
九条総督の仙台到着と奥羽の情勢
佐賀兵、九条総督の救出に向かう
佐賀兵、仙台に入る
前山清一郎の仙台脱出策
佐賀兵、九条総督を擁して盛岡に至る
九条・沢両総督、秋田に会軍す
沢副総督の転戦
孟春丸の座礁
岩倉具視の出征計画と副島種臣
官軍の庄内進攻計画
院内口の戦闘@及位・金山・銀山口付近の戦闘
院内口の戦闘A舟形付近の戦闘
小砂川の戦闘@
 イ・三崎峠付近の戦闘@
 ロ・三崎峠付近の戦闘A
 ハ・三崎峠付近の戦闘B
院内口の戦闘B新庄落城
院内口の戦闘C塩根坂峠の失陥
院内口の戦闘D官軍横堀へ退守す
小砂川口の戦闘A塩越付近の戦闘
武雄兵の到着
小砂川口の戦闘日B
 平沢・三森付近の戦闘と本荘の放棄
副島種臣と東北遊撃軍ならびに長崎振遠隊
院内口の戦闘E皆瀬川付近の戦闘
院内口の官軍、大曲・神宮寺へ転進す
院内口の戦闘F
 角間川・追分付近の戦闘
小砂川口の戦闘C長浜付近の戦闘
小砂川口の戦闘D勝手付近の戦闘
十二所口の戦闘@盛岡兵の侵攻と醍醐・前山の弘前派遣
小城兵の到着
十二所口の戦闘A小繋・今泉付近の戦闘
十二所口の戦闘B前山・坊沢付近の戦闘
十二所口の戦闘C岩瀬・餅田付近の戦闘
十二所口の戦闘D大館奪回戦
十二所口の戦闘E十二所付近の戦闘
十二所口の戦闘F雪沢・水沢付近の戦闘
十二所口の戦闘G
 十二所・霧の森・水沢付近の戦闘
十二所口の戦闘H
 水沢口の夜襲戦と三哲山奪回戦
盛岡藩の降伏
野辺地の戦闘
九月上旬の奥羽の概況
小砂川口の戦闘E糠塚山・椿台付近の戦闘
小砂川口の戦闘F豊巻、・長浜付近の戦闘
庄内軍の総退却
亀田進撃
小砂川口の戦闘G三崎峠・大師堂付近の戦闘
奥羽の平定
 ■付記・あとがき・年表・参考文献


 佐賀藩戊辰史の名著『佐賀藩戊辰戦史』を推薦する
   戦史研究家 長南 政義
 「薩長土肥」という言葉がある。幕末期に雄藩として明治維新を推進し、明治新政府に人材を供給した薩摩藩、長州藩、土佐藩および肥前藩の総称であるが、薩長土肥という言葉はその順序で新政府内の影響力の大きさをもあらわしている。佐賀藩は、精錬方という科学技術研究機関を創設して大砲や蒸気機関などの研究開発を行ったり、軍制改革に着手したりするなど、日本有数の軍事力と技術力を誇ったが、中央政局に対しては姿勢を明確にすることなく、ぎりぎりの時期まで静観を続けた。また、藩士にも他藩士との交流を禁じ鎖国藩と呼ばれるなど、他の三藩と比較して幕末期の貢献度が低かった。

 これが影響してか、佐賀藩の幕末維新を記述した良質な史書は、薩長土三藩と比較して少ない。薩摩藩には勝田孫弥による『西郷隆盛伝』や『大久保利通伝』、長州藩には末松謙澄編『防長回天史』、土佐藩には瑞山会編『維新土佐勤王史』といった優れた史書が複数刊行されているが、佐賀藩関係の維新史に関する大部な史書で刊行されたものは久米邦武編述の『鍋島直正公伝』など少数にとどまる。

 しかし、佐賀藩が戊辰戦争であげた軍功が小さかったわけではない。佐賀藩は上野戦争や羽州戦線などで活躍しているからである。特に、戦線が拡大するにつれ新政府軍は兵力不足に悩まされるようになるが、このとき脚光を浴びたのが佐賀藩の軍事力である。特に、佐賀藩兵が奥羽鎮撫総督府に増援され、九条道孝総督を救出し、庄内藩兵をはじめ仙台藩や米沢藩などの諸藩兵を牽制・敗走させた功績はもっと高く認知されてもよいはずであるが、奥羽戦線における佐賀藩の功績はあまり世に知られているとは言えない。

 そして戊辰戦争における佐賀藩の功績を世に広めたいという動機の下に執筆され、戊辰戦争における佐賀藩の活躍を詳述しているのが、本書である。本書の特徴は以下の三点だ。

 第一に、本書は、佐賀県立図書館所蔵の鍋島家文庫および多久市郷土資料館所蔵の多久家文書に収められている戦報や記録類を多数引用しながら、個々の戦闘における佐賀藩兵の行動を詳述している。

 第二に、本書の記述は、個々の戦闘における佐賀藩兵の行動が、戦局全体にどのような影響を及ぼしたのかという点に重点が置かれている。つまり、著者は、佐賀藩兵の評価が、各戦闘における勝利への貢献度と同時に、その存在が新政府軍全体の中でどの程度の比重を占めていたのかという点からもなされるべきだと考えていたわけである。

 第三に、執筆手法が史料原文を引用して記述を進めるスタイルであるため、内容が非常に客観的で、戦闘経過等に疑問がある個所でも各史料の異同をそのまま紹介し筆者の推測が控えられている点である。
 ただ残念な点も存在する。佐賀藩海軍は旧幕府海軍に次いで優秀とされ、榎本武揚率いる旧幕府脱走艦隊との海戦においては、多数の佐賀藩出身者が活躍したのだが、本書においては紙幅の関係から割愛されているのがそれである。

 佐賀藩といえば司馬遼太郎の小説『アームストロング砲』(講談社)で有名だ。司馬の小説により佐賀藩は上野戦争において世界でも先進的な大砲であるアームストロング砲を投入し、上野の山に立て籠もる彰義隊を壊滅させるうえで大きな貢献を果たしたことはよく知られたエピソードであろう。本書では史料に基づきアームストロング砲の威力の大きさが次のように生々し描写で紹介されている。
 「アームストロング鋼砲は口を開いて上野の森に発射し、その破裂弾は敵陣の中央に落ちて猛烈に爆破したりければ、山中の敵兵は何かは以てたまるべき、たちまち死屍は算を乱して縦横にたおれ、続いて少し方面を転じつつ発射せる二・三弾も、またことごとく震雷のひびきをなして落ちたりしかば、諸寺院は遂に火を発して、すさまじく炎上せり」。

 さらに本書の良いところは、記述をただの史料引用で終わらせるようなことをせずに厳密な史料解釈を行い、史料の記述にある史的事実の誤りまで指摘している点にある。たとえば、『鍋島直正公伝』に江藤新平が鍋島直正に江戸で謁見し上野戦争においてアームストロング砲を使用することを薦めたとある点を、著者は「当時直正は京都に在った(年譜・公京都において痢を病み、容易に癒えず)ので、江藤は江戸に下る前に許可を得たものであろうか、誤解を招きやすい記事である」などと指摘している。

 ところで、佐賀藩の戊辰戦史を語るうえで欠かせない重大事件に、下野国今市で発生した深堀又太郎殺害事件がある。この事件は、佐賀藩の支藩多久藩士の深堀が、軍議のために大沢宿へ出張した帰路、水無・森友間の杉並木街道で、敵軍の襲撃を受け殺害され、自身の首だけではなく軍議の書類という重要文書までも持ち去らわれてしまった事件である。この事件についても、本書では「中村純九郎手記」を使い凄惨な現場情景が紹介されている。
 「深堀又太郎は大沢に屯営せる監物組と軍議をなし、その帰路、夜中、杉並切通し道において敵に狙撃せられ、首その他、軍議の書類・大小の刀など奪取せられ、首なしの遺骸のみ発見し、これを人夫に荷わしめ、帰営するに逢着せり」。

 また、戊辰戦争中の佐賀藩は藩兵や旧幕府軍といった正規軍との戦闘だけではなくゲリラとの戦いをも強いられた。本書には賊徒探索や賊徒捕縛の記事が複数登場する。たとえば「賊徒等何時襲来候やも計り難く、これにより諸藩兵ならびに巡邏、尚又油断なく」など、ゲリラ戦に直面して神経をすり減らすような緊張を強いられている描写は、戦場の実相をリアルに浮かび上がらせてくれる。

 本書の著者である宮田幸太郎は、大正四年に佐賀県で生まれ、京都帝国大学を卒業し、戦後は長崎県立佐世保南高校などで教鞭をとった人物である。宮田の著書には、本書の他に、『佐賀の乱―その証言』(佐賀の乱刊行会、1972年)や『佐賀藩戊辰戦史を記行する―宮古・函館の海戦と佐賀藩海軍』(ふるさと社、1977年)などがある。著書からもわかるように、地元所在の史料に強い郷土史家であり、本書において地元佐賀に存在する多数の原史料が駆使されているのも彼のこうしたバックグラウンドと無関係ではない。

 今回復刻される『佐賀藩戊辰戦史』は、戊辰戦史を研究する上で不可欠の史書であり、維新史研究者や幕末愛好家などの間で長年復刊がまたれていたものであるが、戦後刊行された書籍にもかかわらず古書流通量が少なく、古書店で見かけても高額で入手しにくい。今回の復刻を機会に多くの読者が本書を繙かれることを期待したい。
(本書パンフレットより)