混迷の21世紀を照射する松陰の実像
吉田松陰全集 全12巻+別巻の13冊揃
 山口県教育会編
 マツノ書店 復刻版※原本は昭和13年岩波書店
   2001年刊行 A5判 上製函入 パンフレットPDF(内容見本あり)
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◆吉田松陰全集には「定本版」「普及版」「大衆版」の3種あります。
今回はじめて復刻される「普及版」は「身近でわかりやすい全集」として絶大な評価を受けているものです。
◆復刻版の特色は次の2点です。
・約1000頁に及ぶ別巻を新しく加えることにより「決定版」と呼ぶにふさわしい内容となります。
・B6判の原本をA5判に拡大することによって非常に読みやすくなりました。


内容一覧
第1巻 述作篇 述作篇は、単行論文、随筆、詩文稿の類を集め、ほぼ執筆年代順に配列してある。この巻はまず、松陰が十一歳のとき、藩主に「武教全書」を進講し絶賛された際の模様を伝える武教全書講章。また幽囚録は安政元年、アメリカ密航の動機と思想的根拠を説く。その他吉田松陰年譜、家系参考書、未忍焚稿など。

第2巻 初期、野山在獄時代の雑著・詩歌・随筆を集めている。未焚稿には六十五編もの随想が入っているが、どんな短文も発想はユニーク、論旨は明快ある。野山雑書にはアメリカの制度まで引用して、獄舎を「福堂」にすべく感化的制度に改めるべしと論じた「福堂策」がある。その他賞月俳諧、獄中俳諧、叢棘随想清国威豊乱記など。

第3巻 松陰の人生観・国家観はもちろん政治・教育・外交・哲学など各方面にわたる思想や、読書の態度、学問の方法などを集大成。松陰の講義を眼前に髣髴させる講孟余話(旧名講孟〇記)の巻。

第4巻 松下村塾の模様、その教育方法、当時の生活状況や、彼らが読書に沈潜する空気が伝わる丁巳幽室文稿。大津郡、登波の復讐事件を題材とした史伝『盗賊始末』は文学作品を思わせる力作。その他丙辰幽室文稿。野山獄文稿など。

第5巻 戊午幽室文稿は安政五年の文集。幕府の開国政策を非難し、過激になってゆく松陰の言動が生々しい。兵学者の立場で西洋の進歩的兵学採用を訴えた西洋歩兵論は足軽農民の登用を説き、後に高杉晋作が結成した「奇兵隊」発想の基。その他幽室随筆、急務四条 意見書類。

第6巻 安政六年正月から五月の東送までの野山獄中での詩文己未文集はすでに死を覚悟した重要な意味を持つ。兵学者松陰が最も得意とした孫子に随評を加えた孫子評注も代表作の一つ。ほか読綱鑑録。

第7巻 松陰にとって詩歌は「志」を伝える大切な手段であった。死を直前にした松陰が門下生に残した遺書留魂録は、冒頭の「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」の歌とともに知られる。人生を四季に見立て、自分の志が継承されんことを念じながら筆を進めた松陰の思いが伝わり、読者の胸を打つ。その他松陰詩稿、坐獄日録、照顔録、縛吾集、涙松集など。

第8巻 書簡篇 嘉永二年〜安政四年の書簡。人の面目は書簡において最も赤裸々に表される。この巻に収められた肉親・門下・知友への書簡二九三通は普段着の松陰を余すところなく写し出す。 

第9巻 安政五年〜安政六年の書簡。特に松陰が最も活躍した安政五、六年は獄中にあり、文通以外に外部との連絡法はなかった。この三三四通の書簡は圧巻である。

第10巻 日記篇 嘉永二年、二十歳のとき北浦沿岸を視察旅行した際の廻浦紀略、脱藩して宮部〇蔵と東北地方を遊歴踏破し兵学者の視点での実地見聞録した東北遊日記をはじめ、東遊日記、西遊日記、費用録、辛亥日記、睡余事録、長崎紀行、回顧録など各時期にわたる。

第11巻 この巻は主に安政年間の日記類。松下村塾食料月計、松下村塾食事人名控からは、松下村塾の日常を詳細に知ることができる。江戸召還直前の壮絶な東行前日記。そのほか野山獄読書紀、書物目録、借本録、丙辰日記、吉日録など。 
(第11巻の途中より)関係文書・抄録・雑纂篇。関係公文書類 兵学入門起請文 葬祭関係文書など。

第12巻 関係文書など 松陰に関する珠玉の文献の数々。関係人物略伝、杉〇斎先生伝、太夫人実成院行状、玉木正〇先生伝、竹院和尚伝、杉民治伝、雑纂・補遺(松下村塾規則、人の車に乗る者はなど)関係雑纂(松下村塾零話、依田学海日記、松陰先生の令妹を訪なう、家庭の人としての吉田松陰など)その他。

別巻 関係人物小伝、門下知友の日記・論文・談話等の史料を、主として〔定本版〕から転載。
▼杉百合之助日記、小田村伊之助檜荘日記、宮部〇蔵東北遊日記、山県半蔵敬宇日録、国友半宇衛門遊東日誌、北条源蔵浦賀日記、松浦武四郎日記、吉田寅次郎金子重之助護送日記、久保清太郎日記、玉木彦介日記、村塾油帳、佐世八十郎日記、入江杉蔵投獄日記、久坂玄瑞九〇日記、世古格太郎唱義聞見録、久坂玄瑞江月斎日乗、高杉晋作日記、一燈銭申合帳、久坂玄瑞廻〇条議、攘夷血盟書、吉田小太郎日記、野村靖追懐録など。
▼関係雑纂には、吉田大助遺言書、徳富一義東遊録、来原良蔵日記など八十編。 
▼松陰宛書簡を含む関係書簡328通。
▼スパルディング日本遠征記、ホークスペリー日本遠征記、スティブンスン吉田寅次郎の邦訳を大和書房版より転載。
▼その他、この全集の編集者広瀬豊ほかの貴重な論文多数を含む月報揃140頁。




マツノ版『吉田松陰全集』を推薦します
     山口県教育会
 このたびマツノ書店が『吉田松陰全集』の復刻を企画されたことは、全集編纂者である山口県教育会としては感にたえないところであり、衷心より御礼申し上げるとともに、その企画に対し深甚なる敬意を表するものであります。

 山口県教育会は、これまでに三回『吉田松陰全集』の編纂を手がけて参りました。一回目は、昭和六年に資料収集に取り掛かり、同九年から十一年にかけて公刊した「定本版」(菊版十巻、岩波書店)。二回目は昭和十三年から同十五年にかけて公にした「普及版」(四六版十二巻、岩波書店)で、先の「定本版」が漢文は漢文のまま編集していたものを、漢文を読み下し文に改めるとともに若干の頭注を付したもので、これにより『全集』がより多くの人々に身近なものとなりました。三回目は昭和四十七年に大和書房を発行者とした「大衆版」(菊版十巻と別巻)であります。

 今回マツノ書店が復刻されるのは、上記の「普及版」でありますが、原版を拡大して見やすくすることもさることながら、特筆すべきは、「普及版」では割愛されていた「定本版」所収の「杉百合之助日記」をはじめとする松陰周辺の人々の日記類や、「追懐録」(野村靖)、「松下村塾零話」(天野御民)など弟子たちの思い出、あるいは三二八通に及ぶ「松陰宛」の書簡など、約八百頁に及ぶ「別巻」を新たに加えることにしたことであります。これにより、「マツノ版」はその価値を一段と高いものにすることになりました。

 マツノ書店は、貴重文献の復刻については日本有数の業績をもつ出版社であり、これまでに山口県関係の貴重史料一六〇点余りを復刻しております。山口県教育会の出版物の中では『村田清風全集』(全二巻)の復刻を手がけていただいており、その復刻技術、販売技法等には会としても全幅の信頼を寄せているところで、今回の『吉田松陰全集』復刻の企画をお聞きした際にも、直ちに同意させていただいたところであります。

 いま私たちは二十世紀を終え、前途に多くの難問をかかえた新しい世紀を迎えようとしています。この、世紀の節目にあたって、かつて明治維新というわが国最大の激動期に、全身全霊でもって真摯に生き、当時の青年たちの心に不滅の火を点じた松陰先生から、私たちは学び取るべき多くのことがあるように思います。

 こうした意味からも、今回のマツノ版『吉田松陰全集』の公刊はまことに時宜を得たものであります。全国の図書館、学校をはじめ心ある個人の方々がお求め下さるよう、編纂者の立場からもご推薦申し上げる次第であります。



『吉田松陰全集』復刻の現代的意味
  北海道大学名誉教授 田中 彰
 いま、なぜ『吉田松陰全集』なのか、と人は間うだろう。この問いには、いまだからこそ『吉田松陰全集』なのだ、と私は答えたい。
松陰は、幕末激動の時代と対決した。そして、死を賭した。その死を乗り越えることによって、明治維新という近代日本への一大変革は成し遂げられたのである。
この松陰の一生は、時代に対する危機意識に貫かれていた。翻って、21世紀への転換点としての現代は、こうした危機意識の中にみずからをおいてのみ、それを克服する方途を探り当てることができるだろう。松陰がいま間われるゆえんなのである。

 吉田松陰には、汗牛充棟ともいえる伝記がある。おそらく歴史上の人物伝では最多に属する。そこに描かれた松陰像は、明治・大正・昭和、そして平成へと、時代とともに変遷している。よきにつけあしきにつけ、松陰がつねに現代的意味をもっていることがわかる。
松陰は、時に草命家として、時には改革家として描かれた。「真誠の人」「仮作の人にあらざる」人間ともいわれた。平民主義的な松陰像もあった。なかでも教育者としての松陰像は、人ぴとのあいだに広く定着した。一方、戦時中には熱狂的な「忠君愛国」的松陰像が喧伝され、学校教育を通してたたき込まれ、多くの小松陰を生み、戦場へと送られたりした。
敗戦後の空白期を経て、松陰像は、皇国史観ないし軍国主義的な色合いを一掃され、思想的、政治的実踐者として登場した。以後、戦後社会の価値観の多様性と相まって、さまざまな松陰像が描かれるにいたった。

 とりわけ松下村塾における、身分にかかわらない個性尊重の教育は、民主社会の先駆的な役割を担うものとして、強調されているのである。
しかし、いまもっとも必要なことは、歴史のヒーローとしての松陰ではなく、人間松陰として等身大にと
らえることだろう。

 社会的差別をはね返そうとした女因高須久子への松陰の想いや、聾唖の弟三郎に寄せた松陰のまなざしは、いうなれば、社会の底辺から、はたまた弱者の立場からの、歴史を痛覚をもって見すえる目線である。
ここに復刻される『吉田松陰全集』は、そうした松陰の人間としてのまなざしないし目線を、一人ひとり
が再発見する好個の史科なのだ。



「全集」普及版〜身近な人になった松陰吉田寅次郎

  京都学園大学教授 京都大学名誉教授 海原 徹
 ここ十数年間、松陰や松下村塾を研究テーマにしている私は、ほとんど毎日のように、「吉田松陰全集」を繙いてきました。私の視野の中にはいつも全集があり、その意味では四六時中、全集に触れる生活をして来たといっても過言ではありません。
 私の生活にほとんど溶け込んだかに見える全集との出会いは、一体いつ頃であったのか、はっきりした記憶がありませんが、多くの研究者がそうであるように、最初の出会いは、やはり昭和11(1936)年、岩渡書店刊の10巻本〔定本版〕です。一切の加除、訂正を加えることなく、原本をそのまま起こしたこの全集が、学術的価値の面で比類のないものであることは、多言を要しませんが、その反面、原本がほとんど漢文であるがために、難読・難解の悩みがあったことは否めません。

 昭和15(1940)年、岩波書店刊の12巻本は、そうした間題を解決するために編まれたものです。詩文、日記、書簡を間わず、すべての述作を可能なかぎり書き流し文に改めることにより、飛躍的に分かりやすくなった功績は測りしれないものがあります。原文そのままではないが、読者の誰にでも読みやすく、分かりやすくなったことが、松陰の厖大な述作を広く世に知らしめ、その存在をより身近なものにしたことは、言うまでもなく、全集(普及版)といわれるのも宣なるかなです。

 私なども、この〔普及版〕に繰り返し接することを通して、松陰の思想やその人と為りを、少しずつ、しかも確実に自分自身のものにすることができたように思います。
 もっとも新しい全集は、昭和47(1972)年、大和書房刊の11巻本〔大衆版〕です。ただ、この全集は、〔普及版)を底本にしながら、これをほとんどそのまま起こしたもので、内容そのものにオリジナリティはありません。戦時体制下の〔普及版〕がもつ幾つかの間題点、たとえば皇紀を西暦に変える、旧板名遣いを新板名遣いに改めるなどは、むろん避けて通れないものであり、振り仮名や句読点、注が格段に増やされたという点もそれなりに評価できます。

 ただ、間題は、懇切丁寧にプラスされた注の中に必ずしも正確でないものが、まま見られるということです。松陰自身が誤記した天皇、実は上皇の配流をそのまま注記したり、相馬大作事件の俗説を引注するなど、いささか気になる点です。地名注記は、最近の激しい町村合併で無意味となっているものが多く、今ではあまり役立ちません。訂正・増補した新版でなく、わざわざ〔普及版〕が復刻されるのは、一見分かりにくい感がありますが、専門家的に言えば、(大衆版)はほとんどすべてを〔普及版)によっており、したがって、その底本を見ることで、われわれは、昭和十年代に到達した、松陰研究の極めて緻密かつ高度な学術レベルを、もう一度自分自身のものにすることができます。
 新しい松陰研究の出発点を再確認する意味でも、今回の出版に期待するもの大なるものがあります。